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林歳徳さんを追悼する

りんさん01
林歳徳さんが亡くなりました。5・11入管集会に結集し、戦闘的に追悼しよう!

●第19回外登法・入管法を撃つ全国研究交流集会
 うち破ろう分断! 取り戻そう団結! 民族主義・拝外主義と入管体制を打ち破り、全世界の労働者は団結しよう!
 5月11日(日)午後1時 横浜市教育会館ホール(JR桜木町駅・市営地下鉄桜木町・京急日ノ出町駅)


 昨日、林歳徳(りんさいとく)さんが亡くなりました。89歳でした。日本帝国主義の植民地支配下の台湾で生まれ、日本兵に徴兵され、南京大虐殺を経験し、戦後は我々とともに革命に生きた林さん! 彼はわれわれを、燎原を焼き尽くす火に例えて「星火団」と呼び、大きな期待を持って、ともに闘ってきました。昨年の全学連大会にも来てくれ、3・16にも来ていました。1週間前までは本当に元気だったとのことです。彼は会うたびにぐぐっと握手をし、「あんたに会えておれはこんなに嬉しいんだ」という喜びを、体いっぱいに、声で、魂でぶつけてくるような人だった。苦しい過程にも何度も元気をもらったという人も多いはずです。もちろん私もその一人です。



 葬式に行って来ました。アパートの小さな集会場で焼香をあげました。部屋があまりにも小さくて、棺桶を出すときに方向転換がなかなかできない。なんだかパッチギの映画を思い出しました。すでに来年の年賀状をつくっていて、「年賀状には番号を付けるんだ。そして1番を天皇に送りつけてやる!」と言っていたとか。小さな葬式でも、集まった仲間は本当に熱い。帝国主義の分断をガンガンに乗り越えて、つながった仲間が集まる。彼のように生きたい。彼の死の悲しみの中から、本当に生きる喜びを教えられるような葬式でした。彼は革命に命を燃やし、人生を本当に全うした。そう確信します。未来を切り開く我々が彼の人生を革命によって総括しきる。もう一度腹の底からの革命への執念を燃やし、国際連帯の炎を燃え上がらせ、戦闘的に5・11入管集会で追悼しようじゃありませんか!
 今回の入管集会の分裂という事態に対し、「革命をやる気のないやつは俺には関係ない。労働者は自己解放じゃないとな!」と断固入管集会で特別アピールをする予定だった。彼の意志を引き継ぎ、サミット決戦を切り開く、「労働者はひとつだ!」という叫びを5・11入管集会で上げよう。以下は彼が前進に投稿した文章です。(織田)


りんさん02
 皆さんが日本帝国主義の台湾侵略史を学ぼうという熱意に敬意を表する。同時に、ぜひ知ってほしい重要な事実がある。それは皇族として台湾侵略の先頭に立った北白川宮能久親王はどこでどのように死んだのかという問題だ。
 日清講和条約から約1カ月後、日本は台湾接収のための軍隊を台湾に送った。その主力部隊であった北白川宮能久親王率いる近衛師団が台湾北部の澳底に上陸したのは1895年5月29日。台湾人は、日清の台湾売却契約を知らされず、日帝軍の台湾上陸は青天の霹靂(へきれき)だった。

◆父は抗日ゲリラ隊長
 この時、私の父、林水盛は嘉義地区抗日ゲリラ隊長として先頭に立った。父は1876年生まれで武芸と医学を学んでいた。
 中部へと侵攻する北白川宮軍を、台湾人義勇兵は彰化城で迎え撃ち、北白川宮軍の半数を撃滅する戦果をあげたが、8月末に彰化城陥落。1万人近い義勇兵が立てこもった嘉義城では、二昼夜不眠不休で戦ったが10月9日に陥落した。「嘉義城からの敗走は悔しかった」と父は話していた。
 北から台湾首都の台南府城へ進む北白川宮軍に呼応して、乃木希典陸軍大将率いる第2師団が枋寮に上陸し、北上していた。
 その途上、北白川宮は八掌渓の大要衝である義竹で戦死した。義竹は川幅3㌔もある八掌渓の北岸の渡河口で、南岸は塩水港。辺りはサトウキビ畑が広がり、河岸の林投木(アダン)が行く手を阻む要衝。ここに10月12日、北白川宮軍は侵入した。サトウキビ畑に伏兵したゲリラ軍に追い詰められ、北白川宮は馬から下りて日本刀で応戦したが、ゲリラ軍は、竹の枝を切るのに使う6㍍の柄が付いた割刀(クワトゥ)で北白川宮を切り殺した。こうして北白川宮は台湾人義勇兵によって絶命したのである。
 北白川宮の死を公学校では「北白川宮能久親王は、嘉義でマラリヤにかかり、タンカで担いで運び、台南で亡くなった」と教えられた。教科書にそう書いてあった。私が学校から帰ってそのことを父に話すと、父は「それはウソだ」と真実を詳しく教えてくれた。
 伏見宮貞愛親王が率いる第2師団の混成第4旅団は、北白川宮を救うため彭湖島を出撃、10月10日に八掌渓の河口である布袋港から上陸した。しかし、すでに北白川宮は戦死、その憤怒で伏見宮軍は徹底的な掃討戦に出た。義竹を中心に東西南北10㌔四方を焼け野原にした。焼き尽くし、殺し尽くす残虐な三光作戦がこの時すでに行われたのである。

◆奪われたサトウキビ畑
 私が生まれたのは1918年5月23日、本籍は「大日本帝国台湾総督府台南州東石郡鹿草庄頂潭村26番地」、現在の嘉義県鹿草郷碧潭村です。
 私の家は旧家で、父祖の代から製糖業をしていたが、1915年ころに嘉義の製糖工場は明治製糖に、碧潭の製糖工場は塩水港製糖に吸収されてしまった。
 約10㌶のサトウキビ畑が奪い取られたのは私が5、6歳のころだった。ある日、父が私を連れて見回りに行くと、畑の四角に「この畑は三木三郎の所有地である。耕作したい者は、下記の三木事務所に出頭して賃貸契約を結ばなければ、立ち入りを禁ずる」と書かれた看板が立てられていた。父は怒って看板を引き抜いて焼き捨てた。
 2日後、警察は父を逮捕し、畑の耕作権放棄を要求した。強く拒否する父に警察は拷問を加えた。両手を後ろに縛り上げてひざまずかせ、ひざの裏に六角棒を差し込み、棒の両側に警官が乗ってくるくる回転させた。その拷問を母と私たち兄弟に見せつけ、父が気絶すると、頭から水をかけて繰り返した。母は大声で泣き崩れ、私たち兄弟も泣いた。警官は笑っていた。
 母が気絶した父の指をつかんで、警官が突き出した「耕作権放棄書」に父の拇印を押した。

◆台湾語しゃべり退学
 村の漢書房で3年間漢文を習い、9歳の時、下潭公学校に入学した。台湾総督府の教育は、ただ日本人の命令を聞き分けるための日本語しか教えないというものだった。台湾人は公学校、日本人は小学校、中学校という差別教育体系が厳然とあった。
 33年、15歳の時に台南州立嘉義中学校に進んだ。このころには台湾人も中学校に入学できたが、1学年75人前後でうち台湾人は5人だけ、教員は全部日本人、台湾語は禁止だった。結局、夏には台湾語をしゃべったことで退学になった。

◆日本軍に強制徴用
 私は37年10月、19歳の時に軍夫として強制徴用された。「印鑑持参、朝9時に出頭せよ」と呼び出されて警察に行くと、身体検査書に署名捺印させられ、そのまま郡役所に連れていかれた。そこには男子が30人ばかり集められていた。身体検査は「徴兵検査」のことだった。甲というハンコを押され、そのまま兵舎に一泊、翌朝「誉れの軍夫」と書かれた白いたすきをかけられ、列車で台湾北部の湖口の練兵場に送られた。この時、改姓名も強制されたが、林=「はやし」ということで押し通した。
 私はその後、南京大虐殺を目撃、反戦脱走して日本にやってきた。戦後も2・28事件で帰国できず、今まで日本で生きてきた。やはり戦場に駆り出された兄・月徳はマニラで戦死した。これらはすべて天皇制日本帝国に起因している。

◆善悪を見据えてほしい
 私が若い人たちに言いたいのは、今こそ自立して善悪をはっきりと見据えてほしいということだ。ボランティアだ、人のためだという運動は怖い。いいことをやっているつもりが、結局天皇制に利用されてはいないか。
 日本は今も天皇制日本帝国である。過去を反省していない、誰も責任を取っていない。対中国の血債の額は賠償現金3億5575万両、その上に膨大な資源を強奪した。すなわち、近代日本帝国は、中国人の血肉で造成されたものだ。
 有事立法が出てきたが、日本政府は非常事態が来るのを待っているんだ。危機をチャンスとして、国民を総動員しようとしている。協力しなければ非国民だという、戦前と同じだ。
 婦人民主クラブ全国協が沖縄から北海道まで反戦キャラバンをやった。あれは非常に有効な闘いだ。全国に散らばっているほそぼその火をつなげてぱっと火を着ける。その導火線が必要だ。私は闘う女性たち、闘う日本人とともに闘う。

りんさん03
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2008/04/28 12:32|未分類TB:0CM:0

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